要塞の歴史

南北戦争中、アメリカ最大の要塞
1775年8月5日、スペインのフアン・マヌエル・デ・アヤラ中尉はサンフランシスコ湾に船を浮かべ、数週間かけて港の海図を作成した。調査中、彼は岩だらけの不毛の島を描写し、それを「La Isla de Los Alcatraces(海鳥の島)」と名付けた。歴史家たちは、アヤラが実際にどの島に座ったのか議論しているが、最終的にこの名前は、現在アルカトラズと呼ばれる22エーカーの岩に付けられた。

1848年2月2日、メキシコとの条約によってメキシコ戦争が終結し、カリフォルニアはアメリカの領土となった。その1週間前の1月24日、シエラネバダ山脈のふもとで金が発見された。3年以内に、金を求める人々がカリフォルニアに押し寄せ、サンフランシスコの人口は約500人から35,000人以上へと爆発的に増加した。

1850年にはゴールドラッシュが最高潮に達し、カリフォルニアは連邦の30番目の州として承認された。1850年11月6日の大統領令により、アルカトラズ島と他のいくつかの湾の島々が「公共の目的のために」保護された。
ゴールドラッシュの時代、サンフランシスコに向かう何百隻もの船が、危険なカリフォルニアの海岸線で難破した。船を安全にサンフランシスコ湾に導くため、アメリカ西海岸初の灯台がアルカトラズ島に建てられた。灯台は1854年6月1日に供用開始された。

サンフランシスコ湾が敵の攻撃に対して脆弱であると考えたアメリカ陸軍は、アルカトラズ島の砦を含む戦略的な砲台で港の入り口を要塞化した。砦は1859年12月に完成した。アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)の間、アルカトラズはミシシッピ川以西でアメリカ最大の砦となった。

1860年初頭、陸軍はアルカトラズの砦に囚人を送り込み始めた。その後40年の間に、島は要塞としては次第に時代遅れとなり、刑務所としての重要性が増していった。アメリカ陸軍は砦の砲を撤去し、1907年にアルカトラズを正式に軍事刑務所に指定した。

陸軍は1915年、この島を「米国懲罰兵舎太平洋支部」と改名した。陸軍の囚人たちが島の建物のほとんどを建てた。1933年に最後の兵士が島を去るまで、これがこの島にとって最後の軍事的役割となった。