彼の父クリフォード・アンフィンソン氏は、スポーツフィッシングや船(バスタブ号)のチャーターなど、あらゆるレジャーをこなすボートパーソンでした。

さらに、ネイティブアメリカンがアルカトラズを占拠した際には、クリフォードは他の漁師に呼び出され、インディアンや食糧、ニュースキャスターなど占拠の参加者を移送していた。

アルカトラズ島の船着場にて下船。
アルカトラズ島のドックで下船する乗客たち。写真提供:アルカトラズ歴史館

島へ貨物や人を運んでいた当時、彼はまだ父親ではなかった。リンと結婚して間もなく、そして占領後、クリフォードは「バスタブ」を売却して別の船を購入し、漁師としてのキャリアを続けることができるようになった。

フィッシャーマンズワーフのバスタブ
サンフランシスコのドックで、物資を積んでいるバスタブ。写真出典:アルカトラズの歴史。

(このバスタブの面白いところは、以前はクレデンス・クリアウォーター・リバイバルというバンドが所有していたことです)。

タビーの母でクリフォードの妻でもあるリンによると、「主人は海に出るのが好きで、何をやってもいいと言っていました」。リンさん自身は、この時期サンフランシスコで簿記係をしていた。

アルカトラズの看板を見る
連邦刑務所の閉鎖に伴い、アルカトラズ島は1964年に余剰地となった。 1964年、アルカトラズ島は余剰地となった。アルカトラズ島は、1964年に余剰地となった。 占拠者と物資を島へ運ぶのに貢献しました。写真提供:アルカトラズ島の歴史

アルカトラズクルーズで13年間舵をとってきたタビーは、水とボートを愛するようになったのは、5歳のときに父親と一緒に波止場で遊んだことがきっかけだという。バケーションに行くときは、いつも水辺にいた。そして、19歳の若さで100トン級の船長免許を取得した。

キャプテン・タビーと海での救出劇について、詳しくはこちらをご覧ください。

https://www.sfgate.com/bayarea/article/Capt-Tubby-hailed-a-hero-after-SF-Bay-rescue-11735284.php